大判例

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千葉地方裁判所 昭和53年(ワ)856号 判決

原告 笠間秀子

〈ほか三名〉

右原告四名訴訟代理人弁護士 古閑陽太郎

同 眞田順司

被告 千葉県

右代表者知事 沼田武

〈ほか二名〉

右被告三名訴訟代理人弁護士 平沼高明

同 服部訓子

同 関沢潤

被告千葉県指定代理人 大久保恵司

〈ほか四名〉

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告笠間秀子に対し金一一七二万〇七〇円、同佐藤喜久代、同安田富子及び同佐藤光男に対し各金一一六八万五七九六円並びに右各金員に対する昭和五三年一一月二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告笠間秀子(以下「原告笠間」という。)は訴外亡佐藤勇司(以下「勇司」という。)の内縁の妻であり、原告佐藤喜久代及び原告安田富子(以下「原告安田」という。)は勇司の姉であり、原告佐藤光男は勇司の弟である。

(二) 被告千葉県は、千葉県東金市台方一二二九番地において、千葉県立東金病院(以下「東金病院」という。)を経営しており、被告朝比奈信武(以下「被告朝比奈」という。)は同病院内科の医師、被告清水完次朗(以下「被告清水」という。)は同病院整形外科の医師である。

2  勇司の死亡に至るまでの経緯

(一) 勇司は、昭和五三年八月二六日午前六時三〇分ごろのどの痛みを訴えて起床し、同日午前九時ごろ近所の耳鼻咽喉科医の診察を受けに行ったが、待たなければならず、かつ、呼吸が苦しくなったため、一旦帰宅した後、救急車を呼び東金病院へ運ばれた。

(二) 勇司は、同日午前一〇時過ぎごろ同病院において被告朝比奈の診察を受け、直ぐ入院するように指示され、同病院三〇一号室に入院した。その間勇司は、体温は平熱、血圧は正常といわれ、心電図をとられ、のどのあたりのレントゲン撮影も受けた。入院後は点滴がなされ、酸素吸入も行われようとしたが、機械の故障のため行われなかった。

(三) 同日正午過ぎごろ、勇司の呼吸困難はかなり楽になったので、勇司の入院に同行してきた原告安田及びその夫の安田承男(以下、二人の場合を「安田夫婦」という。)は原告笠間を残して一たん帰宅した。しかし勇司の呼吸困難は継続し、更にその後その度合いは強くなり、入院時に被告朝比奈の診察を受けたときは発熱はなく、仰臥することができたのに、悪寒が出て電気毛布の貸与を受けるとともに、起座呼吸するようになった。

(四) 同日午後二時少し前、それまで一度も勇司のいる三〇一号病室に来ていなかった被告朝比奈は、右病室に来たものの、他の入院患者を診たのみで勇司については診ようともしなかったので、付き添っていた原告笠間が心配になり声をかけたところ、同被告は「明日は日曜日だから気管切開手術をしちゃおうか。」と言い始めた。原告笠間は決断しかねて、一たん帰宅していた安田夫婦を呼んだ。安田夫婦が病室に来たときには既に被告清水も病室に来ており、被告朝比奈の言に従って手術を勧めた。被告朝比奈は「簡単な手術で、気管を切開して空気を入れるようにすれば楽になり、手術の痕は人差指の先ぐらいしか残らない。明日は日曜日だから明日になって腫れても手術ができないから困る。今日中にやろう。」と説明し、結局、原告笠間及び安田夫婦(以下三人の場合を単に「原告笠間ら」という。)は手術につき承諾した。

(五) 手術の準備が始まり、同日午後二時三〇分ごろ、病室において、被告清水、訴外小林彰医師(以下、単に「訴外小林」という。)の執刀で気管切開手術が開始され、原告笠間らは、病室隣の休憩室で待機していた。手術開始後約五分が経過したころ、病室から「ウウン」という軽い声がし、まもなくものすごい悲鳴が五、六回聞こえた後静かになった。

(六) まもなく被告朝比奈及び同清水が病室から出て来て原告笠間らを看護婦詰め所に誘い、勇司の死亡を伝えた。原告笠間らは訳が分からず、病室に入ってみると、枕許が血だらけになって勇司が死亡していた。死亡時刻は同日午後三時ごろであった。

3  勇司の死因

勇司は、咽喉部急性化膿性炎症により窒息死したものである。

4  被告らの責任

(一) 病人の症状は変化することがあり、特に、呼吸困難の患者については窒息することがあるから、特別注意してその症状の変化を観察する必要がある。したがって、被告朝比奈は、呼吸困難を訴えて入院した勇司の容態、症状の変化に細心の注意を払って監視し、その変化に応じた処置をとるべき注意義務があった。しかるに被告朝比奈は、勇司の症状につき的確な把握をしないでこれを安易に考え、また、症状の変化を観察することなく放置したため、勇司の症状の変化に気づかず、気管切開手術の決断及びその着手時期を遅らせて、勇司を死亡させるに至った。すなわち

(1) 勇司は、東金病院において、被告朝比奈の最初の診察を受けた午前一〇時過ぎごろには、発熱はなく、仰臥することができたが、入院後、悪寒がでて起座呼吸するようになったという症状の変化があったにもかかわらず、その後、午後二時少し前に被告朝比奈が午後の回診に来るまでの約四時間弱の間、医師は誰も診察に来なかったし、看護婦もその症状を特に注意していた事実はなく、むしろ、原告笠間ら勇司の身内の者の判断、報告をまって何かあれば言ってくるであろうとの態度であった。

勇司が仰臥できなくなったということは、呼吸困難の度合いが強くなったものとみられ、気道閉塞を招来する可能性があると判断できたのであるから、被告朝比奈は、勇司の症状の変化にもっと早く気づくべきであったし、看護婦らを介して知り得たはずである。少なくとも午前の外来患者の診察が終った時点で直ちに勇司の症状の変化に気づいて適切な処置をすべきであった。そして、手術の必要性、緊急性を説明して手術を早く行うべきであったにもかかわらず、前記のとおり約四時間弱の間、勇司の悪寒の訴えに対して電気毛布が貸与されただけで、勇司を放置したのである。

(2) 更に被告朝比奈は、原告笠間らに早急に気管切開をしなければならないこと、気管切開が遅れれば気道が閉塞して窒息死することを話して、早く手術に同意させるべきであったにもかかわらず、原告笠間らの手術に対する同意を得るのに約一時間も費やし、手術の着手時期を遅らせた。勇司の手術が少なくとも一五分早く着手されておれば勇司は死ぬことはなかったのである。

(二) 被告朝比奈は、勇司の症状について的確な把握を怠ったため、同被告及び被告清水は勇司の手術を単純な気管切開とのみ考え、気管内挿管についての協議を行わず、また単に手術のしやすい方法との考えから、手術に際し勇司の背中に枕を入れて呼吸がし難い状態にしたまま漫然と手術したため、勇司を苦しがらせ体動を激しくさせて手術を一時中止するのやむなきに至らせ、その間に勇司を死亡させたのである。

(三) 勇司は、被告朝比奈及び同清水の右過失により死亡するに至ったものであるから、被告朝比奈及び同清水は共同不法行為により、被告千葉県は右両名の使用者として、いずれも勇司の死亡につき原告らに対して、後記損害を賠償すべき義務がある。

5  損害

(一) 逸失利益

勇司は、死亡当時三八歳で、千葉県東金市東金一一九六の二一所在の有限会社ニュードラゴン経営に係る遊技場の支配人として勤務し、年収二六三万五三〇〇円の収入を得て、原告笠間と共に生活していた者であるから、その生活費として右収入の四割を控除することとし、死亡当時の勇司の平均余命は三六・二九年であるから、同人の労働能力喪失期間は三六年であり、これらを基にホフマン複式による年五分の割合による中間利息を控除(新ホフマン係数は二〇・二七四五)して同人の逸失利益を算出すると、金三二〇五万七三九〇円となる。

原告佐藤喜久代、同安田、同佐藤光男は右逸失利益三二〇五万七三九〇円の損害賠償請求権を各自三分の一(各金一〇六八万五七九六円)ずつ相続した。

(二) 慰謝料

原告笠間は内縁の妻とはいえ、一三年以上にわたって勇司との円満な家庭生活を送っており、勇司の死亡により多大な精神的苦痛を被った。右精神的苦痛に対する慰謝料は金一〇〇〇万円をもって相当とする。

(三) 葬儀費等

原告笠間は、勇司の葬儀費及びその他雑費として合計金七二万〇〇七〇円を支出した。

(四) 弁護士費用

原告らは、原告訴訟代理人に対し本件訴訟の提起、追行を委任し、弁護士費用として着手金一五〇万円、報酬金二五〇万円の合計金四〇〇万円を各自四分の一ずつ支払うことを約した。

6  よって、原告らは、被告ら各自に対し、被告朝比奈、同清水の共同不法行為、被告千葉県の右両名の使用者として使用者責任に基づき、原告笠間は金一一七二万〇〇七〇円、その余の原告は、各金一一六八万五七九六円及び右各金員に対する不法行為の後である昭和五三年一一月二日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、(一)は知らない。(二)は認める。

2  同2の事実について

(一)のうち、勇司が救急車で東金病院へ運ばれたことは認め、その余は知らない。

(二)のうち、のどのあたりのレントゲン撮影をしたこと及び酸素吸入装置が故障していた事実はいずれも否認し、その余は認める。レントゲンは胸部撮影をしたものである。

(三)は認める。

(四)のうち、被告朝比奈が、翌日は日曜日であり、日直に外科医がいないため気管切開手術を当日のうちにした方がよい旨原告笠間にいったこと、原告笠間が決断しかねて相談のため出て行ったこと、安田夫婦が病室にやって来たとき既に被告清水が病室に来ており、被告朝比奈の言に従って手術を勧めたこと、被告朝比奈が手術の説明をしたこと及び原告笠間らが手術につき承諾したことはいずれも認める。被告朝比奈が三〇一号病室に赴いた時間及び同被告が勇司について診ようとしなかったとの点は否認する。被告朝比奈が三〇一号病室に赴いた時間は午後一時半ころである。その余は知らない。

(五)のうち、手術開始後約五分が経過したころ病室から「ウウン」という軽い声がし、まもなくものすごい悲鳴が五、六回聞こえた後静かになったとの点を否認し、その余は認める。

(六)のうち、被告朝比奈及び同清水が病室から出て原告笠間らを看護婦詰め所に誘い、同所において勇司の死亡について説明したことは認め、その余は否認する。

3  同3の事実は認める。病名としては蜂織炎性咽頭炎と解される。

4  同4の主張は争う。被告朝比奈、同清水に過失がなかったことについては後記被告の主張のとおりである。

5  同5の事実は、いずれも知らない。

三  被告の主張

1  勇司の初診時における処置について

東金病院では、内科に入院する患者のすべてについて胸部レントゲン撮影及び心電図の検査をしているが、勇司の場合も、同人は呼吸困難を主訴とする患者であり、呼吸困難の原因としては咽喉部の腫脹のほか呼吸器系(肺など)、心臓に起因することが多いので、胸部レントゲン撮影をしたものである。

また、のどのレントゲン撮影をしなかった理由は、咽頭部に腫脹があり、勇司自身も咽頭部痛を訴えており、咽頭部に病変があることは診察の結果判っていること及び咽喉部のレントゲン撮影をしても腫脹は写らず、治療上意味がないからである。

2  入院後の措置について

呼吸困難を訴えてきた場合の処置は疾患により異なるが、一般的には、酸素吸入、薬物療法、気管内挿管、気管切開等の処置が取られ、本件の場合も咽頭部の腫脹によるものと診断されたので酸素呼入を施し、また、補液(水分、電解質・糖分の混合したもの)に抗生物質を加えたものを点滴して、経過をみた。

被告朝比奈は、正午ごろ、看護婦宮原に電話して勇司の容態を尋ねたところ、入院時より呼吸困難の状態がかなり軽減したとの回答を得たので、外来の診察を続行し、午後一時三〇分ごろ各病室を回診した際、勇司の診察を行った。そのとき勇司は起座呼吸をしており、顔面蒼白、冷汗等が認められ、更に両側下顎部の腫脹が著しいので、そのまま放置しておくときは気道閉塞を起こす恐れもあったので、気管切開を当日のうちにした方が良いと判断したのである。

勇司の入院後、看護婦は随時勇司の状態を見に行っており、小川婦長も何度も病室に足を運んだが、酸素吸入と点滴の結果「楽になったようです。」と家族が答えたので、午後一時ごろ帰宅した。

3  手術の経過

気管切開手術の経過は以下のとおりである。すなわち、被告清水は、被告朝比奈、訴外小林とともに病室に入り、勇司を寝かせて肩に枕を入れようとしたが、勇司が苦しがり起き上がってしまうので、枕なしで寝かせたところ手術が可能であったので、看護婦が局所を消毒し布で手術野をおおい局所麻酔(塩酸プロカイン一五CC)をした後、メスを入れたがほとんど出血もなく、筋肉が出たところで勇司の体動が激しくなったので手術を中止して起座せしめた。そうしているうち勇司がけいれんを起したので、再度寝かせたうえ手術を続行しようとして、被告朝比奈が脈搏をみていたが徐脈となり全身状態が急速に悪化し心停止したため、心マッサージを施し、強心剤等を投与するとともに、被告清水が気管切開すべく努力したが、手術が完了しないうちに気道が閉塞し窒息死するに至ったものである。

なお、東金病院に限らず、気管切開は緊急を要すること、手術としては比較的簡易なものであることから通常病室で行っている。

4  気管切開の着手時期について

(一) 医療行為は常にどこに何があるかわからない中から病気を見つけ出して治療していくものであり、臨床医学における思考過程もこのような医療行為の特質から成り立っているものである。したがって、結果から遡って医師の注意義務を論じ、気管切開手術の着手の遅れを過失としてとらえることは、診療にあたった医師の置かれている状況を無視するもので妥当でなく、結果責任的な原告らの立論は誤った考え方である。

(二) 本件においても勇司の気道が閉塞していた過程で、現在の医療水準から考えて閉塞の時期を予見することは、臨床的に診断が非常に困難であったものである。勇司の罹患したような急性の症例は経験した医師がほとんどいないと言っていいほどの稀有なものであったうえ、臨床的には入院後徐々に悪化したもので、点滴、酸素吸入の処置をとる一方、病歴の調査をするなど経過を観察していたのは適切な処置であった。しかも、勇司の症状は、正午ごろには外観上かんかい(寛解)を示し、被告朝比奈は受持看護婦から病状を聞いていたものである。したがって、原告らの言う如く勇司を放置した事実は全くない。

(三) また、手術の同意を得るべく努力していた段階における勇司の症状は、呼吸困難、下顎部及び頸部の腫脹の増大があり、気道を確保するため気管切開が必要であると判断されたが、右症状は気道が閉塞して生体に必要な酸素が欠乏し、一刻を争うような状態を示していたわけではない。酸素の欠乏等による血圧の降下、ショック状態、頻脈あるいは徐脈、不整脈、意識の混濁、チアノーゼの出現等の緊急事態は手術の着手時期まで認めたことはなく、手術の同意を得るについてある程度の時間をおいてもよい状態であった。

(四) 手術の同意を得るのに時間を要したのは説明方法が悪かったためではなく、第一に勇司が当初手術を拒否したこと、第二に原告笠間が安田夫婦に相談するのに時間を要したこと、第三に原告笠間らが勇司の症状が良くなっていると考えたため手術の必要を疑ったことが原因である。勇司のような救急入院患者の場合、その日の内に医師との間に信頼関係が成立することは容易でなく、手術の同意にも時間を要することになるのである。

5  気管切開の適否及び手術方法等について

(一) 本件においては気管内挿管は適応ではなく不可能、かつ、危険であった。すなわち、気管内挿管を行うには、全身麻酔薬を静脈内に注射して急速に意識をなくした後に筋弛緩剤を用いて挿管する方法と、有意識下の経口或いは経鼻挿管の方法があるが、全身麻酔によるときは、麻酔剤による呼吸抑制や呼吸停止が起こり、筋弛緩剤によっても呼吸停止が起こるので亡勇司の全身状態からみて危険であったこと、器質的な狭窄に対してチューブを挿入することは上気道の損傷、出血、機械的操作による気道のより以上の閉塞を起こす危険が大であること、開口困難であるから経口挿管は困難であること、意識下における経鼻挿管或いは経口挿管はいずれも麻酔医による高度の技術を必要とするうえ、勇司の場合には声門の浮腫、狭窄があったので不可能であったものである。かかる危険を侵して気管内挿管を試みるよりは、局所麻酔による気管支切開を行う方が適応であったのである。

(二) 手術に際し、患者の背中に枕を入れることは、首を伸展して気管を皮膚にできるだけ近づけるために一般的に行われるものである。

(三) 手術方法に関しては、手術をする場合、患者が身体を動かせば手術は容易に行われ得ないので、患者の容態や手術の大小によって種々対策を講じるのが通常である。気管切開のような小手術については、局所麻酔と手足の抑制ぐらいで充分に手術に役立つ場合がほとんどである。勇司の場合、気管の狭窄があり、また開口障害もあり、大手術の場合の如く、全身麻酔、筋弛緩剤の使用は不可能であり禁忌であった。通常の手術において、たとえ介助者の人手をもってしても体動を手術が容易に行えるように抑制することは非常に困難である。

(四) 以上のとおり、勇司の場合、気道の狭窄による呼吸困難に対しては気管切開が最良の方法であり、手術方法等も適切なものであった。

6  手術侵襲について

手術は生命身体に対する侵襲であり、侵襲に対する生体反応の複雑さは、その個体の持つ素質ないし体質や内部機構の相互関係など広義の患者側素因によって異常もしくは予想外の反応を示すことがしばしばであり、気管切開による手術侵襲は軽微であるが、患者によっては悪い影響が考えられる。

勇司の場合は、胸線リンパ体質であったこともあり、早く手術に着手していれば死亡しなかったと簡単に結論づけることはできないものである。現在の医療水準において死期についての予測が本来困難であることは止むを得ないことであり、しかも勇司の状態は緊急状態を示してはいなかったのであるから、被告朝比奈、同清水が勇司の手術の着手をより早期にすべき注意義務を負っていたものではない。

7  以上のとおり、勇司の気管切開手術の着手時期の判断等につき、被告朝比奈、同清水にはなんらの過失もなく、また、着手時期を早めていたら勇司が死亡しなかったということもできないものである。

四  被告の主張に対する認否

被告主張6の勇司が胸線リンパ体質であったこと及び胸線リンパ体質と死亡との間に因果関係があったとの主張は争う。その余の事実は否認ないし知らない。

第三証拠《省略》

理由

一  当事者

1  《証拠省略》を総合すると、請求原因1の(一)の事実を認めることができる。

2  請求原因1の(二)の事実は当事者間に争いがない。

二  手術に至る経緯、手術の経過及び事故の発生

請求原因2の(一)の事実のうち、勇司が救急車で東金病院に運ばれたこと、同2の(二)の事実のうち、勇司が昭和五三年八月二六日午前一〇時過ぎごろ、東金病院において被告朝比奈の診察を受け、直ちに入院するよう指示され同病院三〇一号室に入院したこと、その際の勇司の体温は平熱、血圧は正常であり、心電図がとられ、入院後は点滴がなされたこと、同2の(三)の事実、同2の(四)の事実のうち、被告朝比奈が気管切開手術を行おうかと言い始めたこと、原告笠間が決断しかねて相談のため出て行ったこと、安田夫婦が病室にやってきたとき既に被告清水が来ており、同被告も被告朝比奈の言に従って手術を勧めたこと、被告朝比奈が手術の説明をしたこと、原告笠間らが手術につき承諾したこと、同2の(五)の事実のうち、同日午後二時三〇分ごろ、勇司の病室において被告清水及び訴外小林の執刀で気管切開手術が開始され、原告笠間らは病室隣の休憩室で待機していたこと、同2の(六)の事実のうち、まもなく被告朝比奈及び同清水が病室から出て来て原告笠間らを看護婦詰め所に誘い、勇司の死亡を伝えたことは、いずれも当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実に《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  勇司は、昭和五三年八月二六日午前六時三〇分ごろ、のどの痛みを覚えて起床し、声も出にくい状態にあったため午前九時ごろ、近所の荒木耳鼻科医院を訪れたが、同医院は混んでいて診察を受けるまでに長く待たなければならず、そのうえ呼吸も苦しくなって来たためいったん帰宅して救急車を呼び、東金病院に搬送された。

2  勇司は、同日午前一〇時過ぎごろ、同病院内科外来診察室において被告朝比奈の診察を受けた。その際、勇司は、のどの腫れのためほとんど声が出なかったが、訴外安田承男(原告安田富子の夫)の助けを借りて、被告朝比奈の問診に対し「時々扁桃腺をやられることがあり、四日前ごろからのどが痛み出した。熱はなかったが段々痛みが増し、今朝方頸部の腫れに気がついた。そのままにしていたら段々息苦しくなって声も出なくなった。」旨を答えた。勇司には呼吸困難、咽頭痛、両側下顎部の腫脹等の症状が見られたが、呼吸困難の程度はそれほど強いものではなく、仰臥したままで診察を受け得る状況にあった。次いで勇司の血圧等が測定されたが、その結果は次のとおりであった。

血圧一三〇と八〇(正常)

脈搏八六(やや速い)

体温 平熱    胸部聴診 異常なし

ラッセル音 なし  顔面 やや蒼白

両側の下顎部 軽度の腫脹

右診察及び測定結果から、被告朝比奈は、勇司の症状について気管支炎の疑いもあるが、急性扁桃腺炎による扁桃腺炎下の膿瘍と診断し、抗生物質等を投与して経過を観察するため勇司に入院を指示した。

3  勇司は、外来診察室を出て、東金病院内科の入院患者全員が受けることになっている胸部レントゲン写真及び心電図をとり、同病院三〇一号室に入院した。入院後勇司は、酸素吸入、栄養補給のための点滴を施されたうえ、皮内反応で陰性を確認後セファロスポリン系の抗生物質の投与を受けた(なお、鑑定書によれば、勇司は死亡時には気管支炎を起こし、肺のうっ血、水腫が有ったことが認められるが、入院時の右胸部レントゲン写真では異常が認められなかった。)。

4  被告朝比奈は、勇司の入院後、看護婦に対し勇司に異状があれば連絡するように指示し、いつものようにほかの外来患者の診察に当たった。

5  勇司は、入院後ベッドに仰向けにはならず、九〇度よりは少し鈍角に折り曲げたベッド(いわゆる半ベッド)に上半身をもたれかけるような姿勢で腕に点滴をし、酸素吸入を施されていたが、午前一二時ごろになると呼吸困難の状態が多少軽減し、原告笠間らの目にもその様子が見てとれた。

6  被告朝比奈が午前一二時ごろ、看護婦の宮原に電話で勇司の症状を尋ねたのに対し、右宮原は、勇司の顔面は蒼白で、咽喉部痛は相変らずであると報告したものの、呼吸困難の程度については、同人が午前一一時ごろ初めて勇司を見たときの感じや同僚から聞いていた症状に比べて、そのときの勇司の症状が好転していると感じられたこと及び勇司自身も楽になったとの素振りを見せていたことから、勇司の呼吸困難の状態が軽減している旨を報告した。被告朝比奈は、宮原の右報告を受け、投与した抗生物質の効能が現れて来たものと判断し、そのまま外来患者の診察を継続した。

もっともその直後ころ、勇司が悪寒を訴えたため、宮原は電気毛布を貸与し、保温させた。

7  被告朝比奈の外来診察は午前一二時過ぎに終った。当日は土曜日であり、本来の勤務時間は午後零時三〇分に終了するのであるが、同被告は、未だ入院患者の診察を行っていなかったため、昼食後にそれを行うことにし、とりあえず昼食を取った。

8  被告朝比奈は、午後一時三〇分過ぎごろ、入院患者の回診に先立って病棟の勤務室に立ち寄り、宮原に当日入院した患者の入院後の容態を尋ねた。宮原は、勇司については電話で報告したとおり「昼ごろ少し呼吸が楽になった。」と述べたほか、「さっき悪寒が出た。」旨報告した。これを聞いた同被告は、勇司に発熱がないのは通常の症例ではないと思っていたため、これでいよいよ発熱するものと考え、勤務室の隣の病室に向かった。

9  被告朝比奈は、病室に入って勇司を診察したところ、勇司は起座呼吸をしていて、呼吸困難の状態が激しくなっており、またのどの腫れがひどくなっているのに気付いた。同被告は、右症状から、勇司の病状が午前中の外来診察時より悪化しており、抗生物質では勇司の病勢が食い止められていないものと判断し、その場に付き添っていた原告笠間にもう一度勇司の病歴を確認したうえ、このままではやがて勇司の気道が閉塞し、勇司が窒息死する危険があり、それを予防するためには気管切開手術が必要であると判断した。そこで被告朝比奈は、その旨の事情説明を行って、早く気管切開手術を行った方が良いこと、翌日は日曜日であり、気管切開手術を行うスタッフがいなくなってしまうため、当日手術を行う必要があること、気管切開手術は簡単な手術であること等を原告笠間及び勇司に説明し、早急に気管切開手術を行うことの同意を求めた。しかし、原告笠間及び勇司は入院時よりも呼吸の状態が楽になっているとして、同意しようとせず、しかも勇司は、筆談で「楽になった」旨を発言し、首を横に振っていやだという素振りさえ示したので、被告朝比奈は、なおも気管切開の必要なことと手術の容易であることを説明して説得したところ、原告笠間は自分一人では決めかねると言い出し、相談する人があるから待って欲しいと猶予を求めた。そこで被告朝比奈はその間、同意が得られたなら直ちに手術を実施すべく気管切開手術の準備方を宮原看護婦に指示するとともに、当日の当直医である整形外科部長の被告清水を医局に訪ね、気管切開手術が必要かも知れない患者がいるので診察したうえ手術をして欲しい旨を要請した。

10  被告清水は、被告朝比奈の要請を受け、丁度勤務を終り帰宅しようとしていた同じ整形外科医の訴外小林を呼び止め、気管切開手術があるからその執刀をするよう指示した。

11  訴外小林は、上司の被告清水から指示されて白衣に着換え心の準備を整えた後、被告清水がその担当患者に対して行う病状説明が終わるのを待って、同被告と一緒に内科病室に向かい、勇司を診察することとした。

12  被告清水は、訴外小林と一緒に勇司の病室に赴き、勇司を診察した。そのときの勇司は、座っている状態で非常に息が苦しそうに見え、顔は青ざめ、冷汗をかいて元気がなく、特に喉は非常に腫れていて、顎とほとんど変らない太さであり、触るとぶよぶよして波動性を持った状態であった。また頸部を聴診すると、気道閉塞を起こしつつあるときの特徴である「ビュー、ビュー、ゴロゴロ」という音が聞こえた。しかし、胸部の聴診では異常は感じられなかった。次いで同被告は、訴外小林と共に病室の隣の勤務室に行き、被告朝比奈から勇司の入院時の胸部レントゲン写真、心電図を見せてもらい、病室での触診、聴診の結果と相俟って、呼吸困難を来しているのは肺や心臓等の疾患に基因するものではなく、頸部の腫脹による気道閉塞によるものと診断し、早急に気道確保の措置を講ずべきであると判断した。

13  気道閉塞に対処する方法としては、経鼻的ないしは経口的挿管と気管切開の二つがあるが、被告清水は、前者のうちの経鼻的挿管は技術的に難しいこと、経口的挿管も口をかなり大きく開かねばならない点において口を開けない勇司には適当でないことの理由で、いずれも採用できず、しかも勇司の場合は声門の部分が当然に炎症を起こし腫脹しているため、かかる病変部分にチューブを差し込む挿管の方法は、勇司の症状にかんがみても適当ではないとして、技術的にも比較的簡単で安全な気管切開の方法を選択した。被告朝比奈及び訴外小林もこの選択については全く同意見であった。

14  午後二時ごろ、いったん帰宅していた原告安田とその夫である訴外安田承男が原告笠間の連絡を受けて再び病室にやって来たので、被告朝比奈及び被告清水は、右安田夫婦に対しても勇司の気管切開手術が必要であることを説明したところ、同夫婦や同夫婦から相槌を求められた勇司がようやく同意するに至ったので、直ちに勇司に対する気管切開手術を行うこととした。

15  そのころ勇司のいる病室には既に手術道具が用意されており、手術野の剃毛も行われていたので、午後二時三〇分ごろ、訴外小林が執刀者として勇司の右肩のところでメスを持ち、被告清水が訴外小林の指導及び介助者として同人と向かい合う状態で勇司の左肩のところに立ち、被告朝比奈、看護婦宮原及び同奥山が助手としてその周りに立ち、手術に着手した。

16  手術に着手前、手術をし易くするため、いったん勇司を仰臥位に寝かせて肩の下に枕を入れていわゆる伸展位にしたのであるが、勇司は苦しがって直ぐ起き上がってしまったため、やむなく枕を取ったままの状態で手術をすることとした。

手術は、まず消毒、次いで局所麻酔をした後、輪状軟骨から下に約四センチの部位に皮膚切開を加え、それから鉤を使って鈍的に皮下組織を広げ、出て来た筋膜を正中でメスを入れて開き、更に鉤を使って鈍的に筋肉を開いて行く方法で行い、気管の真正面に到達するころ、丁度手術開始から五分ほどが経過した時点であるが、勇司の体動が激しくなり、手術の続行が困難となった。そこで直ちに訴外小林は執刀を中止し、被告清水がガーゼを創口に詰めて勇司の上体を起こして座った状態にし、その背中をたたいたりして痰を出させた。勇司は約三〇CCから五〇CCの痰を吐いたが、その直後、手足に強直性痙攣の発作が起こった。この状態に直面して被告清水は、とっさに勇司の気道が閉塞して酸素不足になったものと判断し、直ちに気道を確保しなければ勇司の生命に危険が生ずると直感し、訴外小林に代わって急ぎ勇司を寝かせて創口にメスを入れ、手術を続行しようとしたところ、それまであまりなかった手術野の出血が激しく、介助に回った訴外小林が止血を行ったにもかかわらず手術野が出血で判然としなくなり、盲メスのような状態のまま四ないし五回メスをふるわざるをえなかった。そのころ脈を取っていた被告朝比奈が徐脈になっていると言い出し、看護婦にソルコーテル(副腎皮質ホルモン)及びカルニゲン(昇圧剤)注射を指示したうえ、心マッサージを始めた。止血を担当していた訴外小林も途中から被告朝比奈に代わって心マッサージを行ったが、結局、勇司の心臓は停止して再び鼓動しなかったため、心マッサージを諦め、被告清水の手術も気管前面まで切開したものの気管には至らないまま中止した。

なお、鑑定書によれば「口蓋扁桃は左右とも鳩卵大に腫脹し、圧により膿汁を洩らす」とあるが、本件手術に際して勇司の手術部位には膿汁は認められなかった。

17  被告朝比奈らは、午後三時一〇分に勇司の死亡を確認した。被告清水は開いたままの勇司の創口を閉じて、看護婦に勇司の処置を指示し、被告朝比奈、同清水及び訴外小林の三名は勤務室に戻って、被告清水が原告笠間らに対し、勇司の気管切開手術を行いその経過には異常はなかったが、気管に到達する前に勇司の容態が急変して死亡したとの事情説明を行った。

以上の事実を認めることができる。《証拠判断省略》

三  勇司の死因及び体質

勇司の死因が咽喉部急性化膿性炎症による窒息死であることは当事者間に争いがない。

なお、被告らは、勇司が胸腺リンパ体質であった旨主張し、《証拠省略》によれば、勇司の胸腺は左右二葉からなり、重量は八五グラムあって、死亡時の勇司(当時三八歳)と同年齢の男子(三〇歳ないし三九歳)の平均二四・八五グラムプラス・マイナス一・〇七に比して非常に大きく、いわゆる一部学者の主張する胸腺リンパ体質であったことを認めることができるが、右胸腺リンパ体質が勇司の死因といかなる関連があるのかを認定するに足りる証拠はない。

四  被告朝比奈及び同清水の過失の有無

1  原告らは被告朝比奈が勇司の容態、症状の変化に細心の注意を払って監視し、その変化に応じた処置をとるべき注意義務があったのにこれを怠ったため、勇司の症状の変化に気づかず、その結果、勇司に対する気管切開手術の実施を決断するのが遅れ、ひいてはその着手時期が遅れたために勇司を死亡させるに至ったものである旨主張するので、以下この点について判断する。

(一)  《証拠省略》を総合すると、勇司が死亡した昭和五三年八月二六日当時の東金病院は、診療科目として、常勤医師による内科、外科、整形外科及び産婦人科と、非常勤医師による脳外科及び皮膚科があり、医師が一三名、看護婦が約七〇名、ベッド数が約一七〇床の総合病院であること、被告朝比奈の所属する内科には三名の医師が配置されていたが、勇司が来院した当日は夏休み期間中であったため医師一名が休暇中であり、当日の外来患者には被告朝比奈と副院長の訴外小林の二人が午前中一杯、その診察に当たっていたこと、また内科の看護婦はいわゆる患者受持制ではなくて機能別担当制をとっており、勇司の入院した当日は、土曜日のため午前中は各看護婦が点滴係、処置係、投薬係等と機能別に役割を分担し、午後は二人の看護婦が残り番として夕方から始まる準夜勤の看護婦と交代するまで全患者を責任をもって看護する体制になっていたことを認めることができる。

ところで、右認定事実を基に考察した場合、被告朝比奈が入院後の勇司の容態及び症状の変化に細心の注意を払って監視すべきであるとしても、自ら直接、その任に当たる必要はないから、勇司の病室に出入りする各係の看護婦又は残り番の看護婦が自ら、あるいは勇司又はその付添い人からの連絡を受け、勇司の症状の悪化に気付いたときは被告朝比奈に報告し、その報告を受けた同被告がその症状に応じて適切な処置をとり得る態勢にあれば、右にいう監視義務を尽くしたものといい得るといわねばならない。そうだとすると、前記二の認定事実によれば、被告朝比奈は、勇司の入院後、看護婦に対し勇司に異常があれば連絡するように指示して外来患者の診察に当たっていたうえ、午前一二時ごろには電話で宮原看護婦に勇司の病状照会を行い、同看護婦から呼吸困難の状態が軽減している旨の報告を受けていること、一方、宮原看護婦は少なくとも午前一一時ごろ、午前一二時ごろ及びその後の一回の計三回、被告朝比奈が午後一時三〇分過ぎに回診のため勇司の病室に赴くまで、勇司を直接看ていること、勇司には終始、原告笠間又は安田夫婦が付き添っていたことが認められるのであるから、被告朝比奈は、勇司の容態及び症状の変化に細心の注意を払って監視し、症状に応じて適切な処置をとり得る態勢にあったものと認めることができるのである。

なお、被告朝比奈は、午前一二時過ぎに外来診察を終わっておりながら、その時点で直接、勇司の診察をしていないのであるが、既に述べたとおり、同被告は午前一二時ごろ、看護婦に勇司の病状照会をして呼吸困難の状態が軽減している旨の報告を受けているのであり(勇司及び付き添っていた原告笠間らもそのころ、勇司の呼吸困難の状態が軽減していると感じていたことは、前記二に認定するとおりである。)、その報告を受けて、同被告としては抗生物質の投与等の保存療法が功を奏しつつあると考えたのは当然といえるのであり、丁度昼の休憩時に、食事を済ませてから回診し、その際に勇司をも診察しようとしたことをもって、同被告に前記主張の監視義務違反があると責めることにはとうてい賛成することはできない。

(二)  次に前記二の認定事実によれば、被告朝比奈が午後一時三〇分過ぎに勇司を診察し、気管切開手術が必要であると診断したものの、実際に手術に着手したのはそれから一時間弱を経過した午後二時三〇分ごろであったことが認められるけれども、《証拠省略》によれば、被告朝比奈が診察した午後一時三〇分ごろ、勇司は起座呼吸をしていて呼吸が困難であり、頸部が非常に腫れていて、早晩気道が閉塞する容態にあり、緊急に気管切開して気道確保の必要があったものの、未だチアノーゼが出ているとか、意識又は血圧が低下しているといった状態にあったものではなく、患者又はその家族の同意なしに一刻一秒を争って手術を争がねばならないほどの緊急状態にあったものではないことが認められるから、被告朝比奈が勇司及び付き添っていた原告笠間らに手術の同意を求めたことは、医師として履践すべき当然の事項であり、これを行ったことをもって、手術の着手時に遅れを取ったものと責めることにはとうてい左袒することはできない。

のみならず、被告朝比奈が同意を求めるために行った事情説明等の内容及びこれに対する勇司や原告笠間らの対応ぶりは前記二に認定するとおりであって、被告朝比奈らが同意が得られず、したがって手術に着手できなかったのは、専ら右勇司らが医師の意見に従わずに手術を逡巡したからにほかならないのであり、その間にあっても被告朝比奈は、前記二に認定する事実によれば、整形外科医の被告清水に気管切開手術の要請を行ったうえ、残り番の看護婦宮原に気管切開手術の準備方を指示しているのであり、また、《証拠省略》によれば、被告清水及び訴外小林は、勇司及び原告笠間らが手術に同意する以前に、これから担当すべき手術の術者ないしは介助者としての医師の立場から勇司を診察し、かつ、被告朝比奈から入院時の胸部レントゲン写真及び心電図を見せてもらって勇司の呼吸困難の原因を鑑別し、その結果、気管切開手術を行って気道確保の必要があると診断していることが認められるのである。このように被告朝比奈及び同清水は、勇司及び原告笠間らから手術の同意が得られない間も時間を空費していたわけでは全くなく、むしろ同意が得られたときには直ちに手術に着手できるように、医師としてなすべきことを着着と行っていたことが認められるのである。したがって、被告朝比奈が気管切開の必要があると判断してから現実にその手術に着手するまでの間に一時間弱の時間を必要としたことをもって、手術の着手時期に遅れがあったとはとうてい非難できるものではなく、本件において仮に手術の着手時期に遅れがあったとするなら、それは勇司及び原告笠間らが医師の意見に従わず、手術を逡巡したからにほかならないというべきである。

2  次に、原告らは、被告朝比奈及び同清水が気道確保の方法として気管内挿管についての協議を行わずに単純な気管切開のみを考えたこと、また、漫然と勇司の背中に枕を入れて手術をしたため手術を一時中止するのやむなきに至らせたとして、これらの点にも右被告らの過失がある旨主張するのであるが、気道閉塞に対処する方法として気管内挿管と気管切開の二つの方法があること、本件の場合、前者の方法は技術的に難しいことに加えて勇司の症状に照らして適切ではないので、被告朝比奈らは技術的に比較的簡単で、かつ安全な気管切開の方法を選択したこと、また、手術に際して勇司の背中に枕を入れて同人を仰臥させようとしたところ、勇司が苦しがって起き上がったために直ちに枕を取って手術に着手していること及び枕を入れることは気管切開手術がやり易いためであり、同手術にあっては通常行われているものであることは、前記二に認定するとおりであるから、被告朝比奈らに原告ら主張の右過失があったとは認められない。

以上1、2において検討したとおり、原告らが被告朝比奈及び同清水の過失として主張するところは、いずれもこれを認めることはできないのであり、むしろ、前記二に認定の本件手術に至った経緯及びその経過に照らせば、勇司は、手術に着手後、その途中において、医師としての通常の予測を越えた容態の急変を招いて気道が閉塞し、呼吸不能の状態に陥って死亡するに至ったものと認めざるをえないのである。

してみると、原告らの請求は、いずれもその余の点を判断するまでもなく理由がない。

五  以上によれば、原告らの本訴請求はいずれも理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 丹野益男 裁判官 菅原雄二 傳田喜久)

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